カテゴリ
全体 日本_食 日本_食材 日本_文化 日本_お店 日本_地域 日本_旅 イタリア_食 イタリア_食材 イタリア_文化 イタリア_お店 イタリア_地域 イタリア_旅 日本でイタリア! イタリアで日本! 特訓!Dolce(お菓子) カフェ エッセイ 転食日記ブログへの記事 旅 私のこと お知らせ 雑記 未分類 以前の記事
2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 07月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 05月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 フォロー中のブログ
イタリア料理留学日記 butakoの2年間の休... ユキキーナの日記 2008年にイタリアンレ... シチリア時間Blog chiocciola イタリア料理スローフード生活 A TAVOLA ! イ... イタリアの朝 Al mercato i... てくぱくっく cafe pathの日常 シチリア時間BLOG 2 Excite以外のリンク
転食日記(HP⇒閉鎖)
転食日記ブログ イタリア留学・就職・生活・応援!Abbicci chiocciola かたつむりの国だより*イタリア料理留学記 La Venere*benessere DAL GIAPPONE コトコトパスタ 風を探して がんばりあーも ジェラテリア・イル・ブリガンテ ブログ tomocopの生存記録 中部イタリア・マルケ州News Blog TRENITALIA (トレニイタリア/イタリア国鉄のHP) Radio Italia Radio Marte Rai Click Copyright 2008 junaprile All Rights Reserved 最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
前回の予告通り、自己紹介を兼ねてこれまでの私の人生を振り返ってみます。 かなり長くなってしまったので(相変わらず・・・)、興味のある方のみ、どうぞお読みください~♪ ◆地元横浜の小学校を卒業。 ⇒帰り道、なかなか帰ってこないわね~と思った母が見たものは、 道端にしゃがんで草花や水たまりに話しかける我が子・・・。 ・・・何かと空想するのが好きでした。 「私、争いごとは嫌いなの。」とませた発言をする、今よりずっと大人な幼少期でした。 ⇒家に帰るとランドセルを放り投げて外に遊びに行くような、子ども。 ⇒図工の彫刻で、先生に「鎌倉彫り師」の道を進められる。 本当に彫り師の道を選んでいたら、だいぶ違う人生になっていたんだろうなぁ。 ⇒切りえクラブに入っていたり、自宅で母や友達のおばさんに裁縫やボタニカルアートを 習っていたこともありました。何でも自分でやってみたくなる性格は、昔から。 ⇒有志の音楽合奏団に参加。この頃みなで音楽を創る楽しさを覚えました。 ⇒イラン・イラク戦争から避難するために、ヨルダンから来たハーフの女の子と 仲良くなりました。おそらく、これがきっかけで海外に目が向き始めました。 ⇒中学年ごろからは、夏・冬毎年子どもキャンプに参加。 親なしの楽しさ、自然と戯れる心地よさ、リーダー(主に大学生のボランティアの方でした)を 通して、色んな大人がいるんだ~とそこはかとなく知った、大切な経験。 キャンプ好きは確実にここからきています。 ◆鎌倉の中学・高校を卒業。 ⇒人生初海外!高校のカナダ短期留学プログラムに参加。 もともと英語は好きだったけれど、選抜試験のために、より頑張りました。 ⇒バレーボール部は1年間の球拾いで自分の能力のなさを痛感し、退部。 目が悪かったこともあり、コーチに「なんでこんな球が拾えないんだ!」と言われ、 「球が消えるんです!」と真剣に抗議。「何馬鹿なこと言ってるんだ、タコ!」と より怒られたことは、今となれば笑い話(笑。 ⇒バレー部で、校庭をジョギングしているときに聴こえてきたギターの音色に誘われ、 マンドリン・ギター部に入部し、4年間ギターを弾きました。 毎年コンクールにも出場するやる気ある部で、在部中も全国大会で銀賞などを受賞。 今までで一番本格的な合奏を経験し、各パートが集まったときの音の深さ、広がり、 掛け合いの楽しさを知り、「音楽って本当に素敵!」と酔いしれる。 ⇒バイトは禁止だったので(?、地味に地域新聞を週1で配っておこづかいの足しに していました。 ◆東京の四年制大学に進学。 ⇒当初、大学でもギターを続けようと思っていましたが、中高の合唱コンクールの 楽しい思い出と、勧誘が後押しし、最終的には大学でも有名な混声合唱団(約100人)に入部。 ボイストレーニングやオーディションもあるような、かなり本格的な合唱団だったため、 アルバイトと学業と全てをこなすことに無理を感じ、一度は退団を考えました。 ・・・が、結局、幹事学年にはパートマネージャーを務めることになり、 どーーーっぷりとサークル活動にはまっていくのでした(笑。 しかし、このとき経験した全てのことは、私の人生に今後も大きく影響していくと思います。 他人の息に自分の息を重ね、音にのせて言葉を届ける、言葉にのせて音を届ける、 自分の身体が楽器となって、その場にある全てのものと共鳴する心地よさは、 一度経験するとぬけられません。また機会があれば、いつか合唱をやりたいなぁ。 ⇒大学2年次、旅行会社からの一枚のはがきから、アメリカ・ロサンゼルスは オレンジカウンティに住む家族のところへ1ヶ月ホームステイのモニターをすることに。 このとき知り合った家族とは、お互いに日本⇔アメリカを5往復くらいするほど、仲良しに。 ⇒大学3年次、構内の掲示板で「国際ワークキャンプ」というものを発見し、参加。 「何事も形から」の私はすぐにバッグパックと寝袋を買い、 初のひとり旅は中欧のスロヴァキアの牧場でした。 (ちなみにスロヴァキアは第6希望でしたが、本当によい国でした。) キャンプの行き帰りにヨーロッパを旅し、これでひとり旅にはまってしまいました。 ⇒大学4年次、就職活動を終えるとすぐに、再び国際ワークキャンプに申し込み、 ここで初のイタリア、ナポリより少し南、ポンペイ遺跡近くの小さな町で2週間、 海岸のごみ拾いや草むしりをして過ごしました。 初めて覚えたイタリア語の長いフレーズは、"Io ho 22 anni"(私は22歳です)。 まさかこの後、イタリアとこんなに深く関わることになるなんて、この頃は思いもしませんでした。 ⇒大学の卒業旅行で、双子の妹と「ヨーロッパにできた友達再訪の旅」を計画。 トルコから始まり、スイスまで、約1ヶ月かけて二人で北上しました。 このとき、喧嘩はしたものの「旅はひとりに限る」⇒「二人旅っていいもんだなぁ。」に変化。 ⇒キャンプに行った年も、もちろん合唱は続けていました。アルバイトをしないと旅費も部費も 出せないので、空いた時間は常にアルバイトの日々。多いときは2~3個かけもちで、 こつこつ貯めては万単位でどかーーん!と遣う、という大学生活。 アルバイトで一番多かったのは飲食関係。他にも家庭教師、宝くじ売り、蒲鉾売り、 バックコーラス(一度だけですが)、通信教育の添削、、、色々楽しかったです。 ⇒小学生の頃の夢、「大人になったら、リーダーになる!」を実現。キャンパーではなく、 今度はリーダーとして、子どもの頃お世話になったリーダーと、同じ側から子どもキャンプに 参加しました。私も夢のようでしたが、リーダーたちはもっと感慨深かった様子。 キャンプでは未だ子どものような私に、子どもたちはとても懐いてくれて楽しかったのですが、 親がうるさくなったとかで、昔のような自由奔放なキャンプではなく、リーダーたちの苦労を 感じ、また残念でもあり。リーダーは子供たちに親しみやすいニックネームをつけねばならず、 初対面の駅構内、大きな声で「りんりんだよ~!」と言わなくてはいけないのが、どんな面接 経験よりも、一番、苦労しました(笑。 ◆大学卒業後、東京にある、派遣会社の内勤職に就く。 ⇒2年4ヶ月の内、本社内で3回異動。 ⇒カフェオープンの夢は既にもっていたものの、かなり遠い将来(子どもが手を離れてから、 くらいのイメージでした)のことだと思っていたので、まずは社会勉強・社会貢献を、 と派遣会社に入社。営業で色々な会社を見て、たくさんの働く人の相談に乗りたいと 思っていましたが、蓋をあけてみたら、ずっと内勤生活。 ⇒当初の計画とは多少ずれたものの、若く勢いのある会社だったので、学ぶことは多く、 仕事も多く、忙しくも充実した会社生活を送っていました。 ⇒2年目の夏に、突然体調を崩し、寝ているとき以外は常に無重力の世界を歩いているような 珍しいめまいの病気にかかり、1年間通院をしました。仕事にもやはり支障が出始め、 初めての大きな挫折に苦しみ、辛い日々。辞めて別の道にすすむことを考え始めました。 主治医の先生にも、「好きなことをして生きなさい。」と言われ、素直に受け止める(笑。 ⇒会社勤めの2年4ヶ月の間も、人生を充実させるべく、ギターを習いに行ってみたり、 社会人合唱団に入ってみたり、子どもワークショップのお手伝いをしに行ってみたり、 思えば色々手を出しました・・・。 ⇒そんなとき、カフェオープンの夢を思い出し、1年間毎土曜日に専門学校に通って、 自分のやる気と適性を試すことに。ここで素敵な仲間に出会い、料理の楽しさを知り、 本格的に料理の道に転向することを決意します。 ⇒どうせ会社を辞めるなら、大学のときにやりそびれた長期留学の夢と合わせて 海外で料理を勉強しよう、と思いはじめ、行き先をイタリアに決定! ⇒会社を辞め、イタリア語の勉強スタート。職業訓練校では将来お店のHPを作る際に 役立つだろうと「ウェブサイト構築」が学べる学校へ。 ◆イタリア・マルケ州はイエジにあるスローフード協会認定の学校へ。 留学までの道のりと、留学時代のことは、以前のブログ、『転食日記ブログ』をご覧ください♪ ここまで読んでくださった方、お疲れ様でした! 長い文章にお付き合いくださりありがとうございます。 こうして振り返ってみると、多少辛い時期はあったものの、「ま、いっか!」の精神で、常に人生を楽しみ、「やると決めたらとことん!」で多くのことに全力でぶつかってきました。でも、こうしてやりたいことに挑戦して、楽しんでいられたのは、「帰るところ」があったからで、ひとえに両親はじめ周りのみなさんのおかげなんですよね、本当に。 そして、何気なく起こった出来事や出逢いが、自分の人生の舵をちょちょいと動かしていて、「だから人生って面白い!」と感じます。 今後はどんな人、どんな出来事が待ち受けているのでしょう。 私の経歴を見ても分かる通り、私はこれまで「食」に関する仕事を専門的にしてきたわけでも、 特別「食」にこだわりをもって生きてきたわけでもありません。 ただ、幼い頃からスナックの類はあまり好きではなかったし(おつまみが好きな子どもでした・・・)、コンビニやファーストフードもほとんど行きませんでした。 この「食」の世界で、私にどんなことができるのか分からないけれど、この世界に足を踏み入れて約2年。既にとても面白い出来事・出逢いの連続です。 毎日のことだからこそ、楽しく。また10年後くらいに振り返ってみたときに、「やっぱり人生って面白い!」と思えますように。
by junaprile
| 2007-12-26 13:18
| 私のこと
|
ファン申請 |
||